【取材レポート第二弾】
ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢
愛知県美術館<名古屋市>

愛知県美術館で開催中の『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』。
レポート第二弾では、アートザウルスが展覧会の魅力を深堀りしてまいります。

これまでのゴッホ展とは異なる視点…「家族」

イマーシブ・コーナーに映し出されたゴッホの肖像

展覧会の会場に入るときに想うのは「最初に出会うのはどんな作品だろう」。
でもこの展覧会の冒頭で目にするのは、作品ではありません。
ゴッホと弟家族、遺された作品が家族にどう受け継がれていったかが大きなスクリーンに映し出されます。
本展は「弟家族とゴッホの絆」に焦点を当てたストーリー。従来のゴッホ展とは異なる視点の展覧会だからです。

ゴッホ兄弟が収集したコレクション

ジョン・ピーター・ラッセル《フィンセント・ファン・ゴッホの肖像》1886年 
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

次のブースは、ゴッホとその弟テオが収集したコレクションの展示。最初に掲げられたのは「ゴッホの作品」ではなく「ゴッホが描かれた作品」でした。
この肖像は友人のラッセルが描いて彼に送ったもので、「ファン・ゴッホ自身による肖像画よりもよく似ている」と言われ、ゴッホ自身この絵をとても気に入っていたそう。

他にはゴッホ自身がコレクションした浮世絵や、作品を交換し合ったゴーガンら画家仲間の作品も並んでいて、ゴッホの趣向や交友関係を垣間見ることができます。

ゴッホの足跡をたどる

生前のゴッホの暮らしぶりを伝える映像

ゴッホは生前、オランダ、パリ、アルル、サン₌レミ、オーベール₌シュル₌オワーズと移り住みます。
そのたびに大きく画風が変化していくので、住んでいた土地や暮らしぶりを理解するのはとても重要。会場では映像を使って当時のゴッホの生活を浮かび上がらせます。
まったく売れない絵を描いていたゴッホの生活を支援したのは弟のテオ。彼はゴッホの才能を信じ、生涯を通して兄を支え続けました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《アブサンが置かれたカフェテーブル》1887年2月ー3月
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

1886年、ゴッホは突然テオを頼ってパリに移ってきます。そこで印象派の作品に出会い、ロートレックやベルナール、ゴーガンら新進気鋭の作家たちと親交を結びました。
彼らの影響を強く受け、ゴッホの絵は明るく洗練されたものになっていきます。

フィンセント・ファン・ゴッホ《耕された畑(「畝」)》1888年9月
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

やがて寒さと都会の生活に嫌気がさしたゴッホ。1888年の冬、パリを離れてアルルへ向かいます。
南仏のまばゆい太陽の光の中で、彼は明るい色彩を見出しました。色鮮やかで大胆な筆致。いわゆる「ゴッホらしい」タッチが花開きます。

ゴッホは精力的に制作に取り組みました。
しかし、共同生活をしていたゴーガンと考え方の相違から衝突し、その不安感から精神的に追い詰められ、あの「耳切り事件」を起こしてしまうのです。

フィンセント・ファン・ゴッホ《木底の革靴》1889年秋
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

不安から発作を起こすようになったゴッホはアルルを離れ、サン₌レミの療養院に入院します。
この作品は、ゴッホが療養院で履いていたと思われる靴を描いたもの。とても温かみのある丁寧な筆致の一枚。
彼はこの地で『星月夜』『糸杉』などの傑作を生みだしました。

退院後、ゴッホは終焉の地となるオーベール₌シュル₌オワーズへと向かいます。
それからわずか2か月で70点もの作品を残しながら、ゴッホは自ら命を絶ってしまいました。

展覧会の真の主役 弟テオの妻、ヨー

会場に数箇所設けられた映像展示から

この展覧会のハイライトは、実はゴッホの没後から始まると言っていいでしょう。
真の主役は、テオの妻のヨー。
生前は鳴かず飛ばずだったゴッホを、誰もが知る世界的画家に押し上げたのが彼女だったからです.

フィンセント・ファン・ゴッホ《画家としての自画像》1887年12月ー1888年2月
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

ヨーが義兄ゴッホに初めて出会ったのは、ゴッホがサン₌レミの療養院を退院したころ。
後年、ヨーが「この頃のゴッホのイメージに一番近い」と語ったという作品です。

しかしその2か月後にゴッホが自殺。それから半年後、夫のテオまでも病気で亡くしてしまいます。
残されたのはヨーと息子のフィンセント・ウィレム、そして相続したゴッホの膨大な作品のみ。
この時からヨーの、たったひとりの闘いが始まります。

ゴッホの名声のために…ヨーの奮闘

テオ・ファン・ゴッホ、ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲル
『テオ・ファン・ゴッホとヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルの会計簿』1889ー1925年
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

夫のテオが信じた兄の才能をヨーもまた信じて、ゴッホの絵を世の中に知らしめようと奔走します。
受け継いだ義兄の作品を、有力な画商や理解者たちに上手に売却していきます。
同時にゴッホの展覧会を開き、書簡集をまとめるなどして少しずつゴッホの名を高め、1905年にはアムステルダムでの大規模回顧展の開催を成し遂げました。
その後、あの『ヒマワリ』をロンドンのナショナル・ギャラリーが買い入れ。ゴッホの名声は世界中に轟くことになりました。

会場の一角に、テオとヨーがパリで暮らし始めた時から使っていた質素な会計簿が展示されていました。
日常生活の支払いやテオが兄に送金した金額、そして作品の取引が几帳面に綴られています。
作品がいつどこに渡ったのかを知ることができるのは、この会計簿のおかげなんです。

ヨーが売却した作品の展示風景

この3点は、ヨーが売却した作品。
会計簿に記録が残っていて、この展覧会のために現在の所有者から借り受けたものといいます。
会計簿と同じ空間に展示してあるから、彼女の苦労と奮闘ぶりがしみじみ思い浮かんでしまいます。

フィンセント・ファン・ゴッホ「傘を持つ老人の後ろ姿が描かれたアントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙」1882年9月23日頃
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

貴重なゴッホ直筆の手紙です。多くのことを伝えようとぎっしり書かれ、イラストも丁寧。ゴッホの人となりや心情、その時期どんな絵に取り組んでいたかを辿る大切な資料です。
これら遺された手紙などを丹念にまとめ、出版したのもヨーだったんですね。

特設ショップのグッズにもほっこり

ショップにはオリジナルアイテムが豊富に

今回の展覧会は「家族」に焦点を当てているからか、どこかほっこりした作品に惹かれるような気がしてきました。

そして特設ショップでは、なんとも可愛いイラストを見つけました。
ファン・ゴッホ美術館の限定コレクション「SKETCH!」は、ゴッホのスケッチブックに描かれた動物たちの絵から誕生したグッズです。
ペットはいないけど…購買意欲が止まらない!
(※一部商品は購入個数制限を設けることがございます。また、商品は一時欠品、完売となる場合がございます。)

愛知芸術文化センター正面に広がる名古屋・栄の夜景

生で見る『ゴッホと家族が生きた記録』、空気感ごと伝えてくる映像の迫力。心を揺さぶられ美術館を後にすると、冬の夜空にまたたく栄の夜景が広がっていました。
愛知芸術文化センターのすぐ正面は、スケートリンクや飲食店で賑わうオアシス21。鑑賞の前でも後でも一息つくのにはバッチリな環境ですよ。

記者説明当日、2階フォーラムの特設チケット売場には整列用の長ーいテープパーテション!
ゴッホ人気に恐れ入りましたが、現在では少し落ち着いた模様。比較的ゆったりと観賞できる夕方からの訪問もオススメです。
金曜日は20時までの開館となってます(入館は閉館の30分前まで)。