【もうひとつの取材レポート】
阪神・淡路大震災30年
「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」
第二弾レビュー『ゴッホだってぼやきたい』

神戸市立博物館で開催中の「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」。観覧者数40万人を突破したそうですが(1月7日現在)、早いもので神戸展の閉幕まで残りひと月足らずとなりました。
「まだ観ていない…」人も「もう観たよ!」という人も、アートザウルスの取材レポートをぜひご覧くださいね。
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https://artzaurs.com/archives/213

ところで「大ゴッホ展」のような大規模展覧会は出品数も来客も多く、有名な作品に気をとられ多くの作品は横目で通過しちゃった…そんな経験はありませんか?
展覧会を見終わったあとで、見逃した重要な作品に気づいたり。

そこで今回は、ひねくれ者(?)アートザウルスの独自視点から、ぜひ見てほしい作品をご紹介したいと思います。
題して『ゴッホだってぼやきたい』。どうか生ぬるい目でお楽しみください。
まずはこの作品から。

何にでも一途すぎるゴッホ

フィンセント・ファン・ゴッホ《ストーブのそばに座る女:シーン》1882年3月~4月、
鉛筆、黒インクのペンと筆(ところどころで茶色に退色)、白チョーク/簀の目紙(2葉)
クレラー=ミュラー美術館 ⒸCollection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands.  

ストーブの前で膝を抱え座り込む暗い表情の女性は、1882年1月にゴッホが出会った元娼婦で名前はシーン。
男に捨てられた彼女は、幼い子を連れつつ身ごもっていました。
ゴッホはそんなシーンを保護し、出産に立ち会い、同棲生活を始めます。
…この時期ゴッホは画家を目指しハーグにいる画家の義従兄のもとで修行中。
収入もなく、当然周囲は大反対。ハーグ派の画家たちとの断交の原因にもなりました。

でも熱くなると周りが見えなくなるゴッホは必死です。
「彼女なしでは僕はだめになる…シーンといっしょなら、僕は努力する気にもなるし、仕事に全力を注ぐこともできるが、彼女がいなければそれは無理だ。」(手紙247、1882年7月18日、ハーグ発、テオ宛)と、弟・テオに手紙で訴えます。

フィンセント・ファン・ゴッホ《母と子供》1882年秋、鉛筆・油彩/水彩紙
クレラー=ミュラー美術館 ⒸCollection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands.
 

シーンが生まれた子を抱いている同年秋の作品。
この時期のゴッホの作風通りに暗い色合いながら、赤ちゃんのふわふわした真っ白な服、そこからのぞく小さな手、母を見上げるつぶらな瞳…ゴッホの温かいまなざしが感じられる一枚です。
「シーンと僕の間にあるものは本物だ。」(手紙244,1882年7月6日、ハーグ発、テオ宛)
ゴッホは、シーンとの生活がうまくいくと信じていました。

しかし絵は売れず、弟・テオからの援助だけに頼る暮らし。
ゴッホのあまりの甲斐性のなさに不安をおぼえたシーンは、子どもたちとともに彼の元から去ります。シーンとの生活は結局、1年半で幕を閉じました。

何に対しても一途すぎるゴッホ。
生涯で3〜4人の女性に思いを寄せたようですが、いずれも思い込みが激しすぎて周囲に迷惑をかけただけ、という悲しい結果に終わっています。

モデルを描くのは難しい…

フィンセント・ファン・ゴッホ《籠を持つ種まく人》1881年9月、
黒チョーク、茶色・灰色の淡彩、白の不透明水彩によるハイライト/簀の目紙
クレラー=ミュラー美術館 ⒸCollection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands.
 

こちらはレポート第一弾でもご紹介した最初期の素描。
バランスもちょっと変?ですし、ぎこちなさが漂います。ゴッホは友人の画家にこぼしています。

「君は、あれは実際に種をまいている男ではなくて、種まく人のポーズをとっている男だと言っているが、本当にそうだと思う。」
ゴッホ自身も気にしてたんですね。そしてこう続けます。
「あと1、2年もすれば、なんとか、実際に種をまいている人間が描けるようになるだろう。」(手紙176、1881年10月15日、エッテン発、友人の画家アントン・ファン・ラッパルト宛)
と、どこまでも前向きなゴッホなのでした。

フィンセント・ファン・ゴッホ《植える男》1881年秋、黒チョーク、茶色の淡彩、不透明水彩/簀の目紙
クレラー=ミュラー美術館 ⒸCollection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands.
 

もっとも、うまく描けないのをボヤく言葉も残っています。

「大変なのはあの人たちにポーズを取るというのがどういうことなのかわかってもらうことだ。」
貧しくも崇高な農民の姿を描きたかったゴッホは、モデルに不平たらたら。
「彼らはとんでもない折り目のついた日曜のよそいき以外の服ではモデルになりたがらない。」(手紙170、1881年8月5日、エッテン発、テオ宛)

よく見ると、屈んで何かを植えている人の服装がなんだか乗馬服みたい。
ブラバント地方の農夫スタイルだそうですが時代遅れで、ゴッホが期待した農作業の服装には見えません。
「思ったのと違ーう!」ゴッホの嘆きもわかるなぁ。

リトグラフも難しい…

フィンセント・ファン・ゴッホ《じゃがいもを食べる人々》1885年4月、リトグラフ/網目紙
クレラー=ミュラー美術館 ⒸCollection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands. 

1885年の油彩作品《じゃがいもを食べる人々》(ファン・ゴッホ美術館蔵)は、ご存じオランダ時代ゴッホの代表作。
本展ではそのリトグラフを観ることができます。
そのエピソードがいかにも彼らしい。

ゴッホは習作を完成させると、油彩完成作を手がけながら同時にリトグラフを制作します。
しかし慣れない石版で出来上がったリトグラフは、ゴッホにとっても不本意なものでした。
狙いよりもずいぶん明るく、粗っぽくなってしまったようです。
テオは手紙に「効果が不鮮明だ」と書きますが、ゴッホは「これは僕自身の間違いではないのだ」(手紙499、1885年5月2日頃、ヌエネン発、テオ宛)と言い張ります。
素描通りに刷らなかった石版工のせいだというのです。

ゴッホは友人の画家にもこの版画を送りますが、「あんな作品は本気で描いたものじゃないという僕の意見には、君も賛成だろう。」(手紙503、1885年5月24日、ラッパルトよりゴッホ宛)という辛辣な返事が来ます。
激怒したゴッホは、友人を非難する手紙を送り続けたそうです。

アルルへと続く道のり

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェテラス(フォルム広場)》1888年9月16日頃、油彩/カンヴァス
クレラー=ミュラー美術館 ⒸCollection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands.
 

こうした試行錯誤時代の作品たちをじっくり理解した後にアルル時代の傑作《夜のカフェテラス》の前に立つと、また一風違った見かたや感情が味わえるのではないでしょうか。

「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」は、めったに観賞する機会がない初期作品を見ながら、一人の画家が全世界の知る『ゴッホ』になるまでの道のりを辿ることができる実に貴重な展覧会。
多くの作品を見つめることで、人間・ゴッホの側面を感じてみると興味がつきません。
哀しいほどに不器用で一途な性格、画家人生後半での爆発的な創造性の発現、そして不可解な最期へ。
2027年に開催となる、アルル以降のゴッホの足跡をたどる「大ゴッホ展 アルルの跳ね橋」を楽しみに待ちましょう!!